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【御朱印】東京都小金井市 小金井神社・貫井神社|生まれ育った町の天満宮と、子どものころの遊び場だった湧水の神社

2026/05/05

神社 御朱印

【御朱印】東京都小金井市 小金井神社 貫井神社 ふるさとの神社へ

生まれ育った町、小金井の神社へ

令和8年(2026年)5月5日(火・こどもの日)、東京都小金井市の 小金井神社 と 貫井神社(ぬくいじんじゃ) に参拝してきました。

小金井市は、物心ついたときにはもう住んでいた町です。今回は、ふるさとの神社を2社めぐりました。

この日はよく晴れて、境内の新緑がまぶしいほどでした。

小金井神社──住んでいたころには一度も行かなかった天満宮

まずは小金井神社です。

実は、小金井に住んでいたころには、一度も参拝したことがありませんでした。神社仏閣に興味を持つようになってから、「いつかお参りしてみたい」と思っていた神社のひとつです。

ちなみに、小金井神社の近くには知人の芸術家が住んでいます。

小金井神社の参道
石段を上った先に、まっすぐな参道が続きます
小金井神社の社号標と狛犬
「小金井神社」の社号標と狛犬
小金井神社の鳥居
木々に囲まれた鳥居の奥に社殿が見えます

小金井神社の由緒

鳥居の近くに、由緒の案内板がありました。

小金井神社の由緒の案内板
北多摩神道青年会による小金井神社の由緒

案内板によると、小金井神社の主祭神は 菅原道真公。

創立は 元久2年(1205年)。武蔵国の開拓が進んでいたころ、里の人々が菅原道真公の徳を慕って社殿を造り、天満宮と呼んだと伝えられています。

その後、宝暦元年(1751年)に本殿が改築されました。拝殿は明治22年(1889年)に工事が始まり、5年かけて明治27年(1894年)に完成しています。

明治維新のときに「天満天神」と改め、さらに明治3年(1870年)に 小金井神社 と名前を改めて、小金井の里の総鎮守になりました。今では学問の神さまとして、広く信仰されています。

手水舎、拝殿、撫で牛

小金井神社の手水舎
小金井神社の手水舎
小金井神社の拝殿
唐破風が印象的な拝殿

明治の時代に5年をかけて造られた拝殿は、唐破風の彫刻が立派で見ごたえがあります。

小金井神社の撫で牛
天満宮らしく、境内には牛の像があります

天満宮らしく、境内には牛の像もありました。奥には、学業成就を願う絵馬がたくさん掛かっています。

小金井神社の本殿
拝殿の奥の本殿

境内社

境内には、いくつかの境内社がお祀りされています。

水天宮

境内社 水天宮
境内社の水天宮
水天宮の案内
水天宮の案内板

水天宮の御祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)。安産や縁結び、夫婦和合、病気平癒、水難除けなど、ご利益が幅広い神さまです。戦後は旧奉安殿にお祀りされていましたが、令和の御代替わりに合わせて、新しい社殿に移されたそうです。

稲荷神社

境内社 稲荷神社
石の鳥居が立つ境内社の稲荷神社
稲荷神社の案内
稲荷神社の案内板

稲荷神社の御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。江戸時代、多摩地域では各家庭の屋敷神としてお稲荷さんが盛んに祀られていました。その後、跡継ぎがいなくなるなどしてお祀りできなくなった家々のお稲荷さんが、この境内社に合わせて祀られるようになったそうです。

案内板によると、扁額は小金井村の村長だった星野治亮氏の書で、鳥居は中島知久平の別荘にあったものを譲り受けたと伝わっています。

境内社
境内社

由緒の案内板によると、境内社はほかに熊野神社、大鷲神社もあります。

貫井神社──小学校の裏手の、子どものころの遊び場

続いて、貫井神社へ向かいました。

貫井神社は、通っていた 小金井第四小学校 の裏手にあります。子どものころは、ここが遊び場でした。

貫井神社の鳥居
貫井神社の鳥居。奥に朱色の橋と社殿が見えます

大人になって、あらためて「お参り」としてこの鳥居をくぐると、子どものころとは見え方がまったく違います。

貫井神社の由緒

境内には「御本殿造営記念」の大きな石碑があり、由緒が刻まれていました。

貫井神社の「御本殿造営記念」碑
貫井神社の由緒が刻まれた「御本殿造営記念」の碑

碑によると、貫井神社の創立は 天正18年(1590年)。湧き水の出る景勝の地に、水の神さまである「貫井弁財天」をお祀りしたのが始まりです。

明治8年(1875年)の神仏分離のときに厳島神社と名前を改め、さらに貫井村の一ノ久保に鎮座していた貫井神社を合祀して、村社 貫井神社 となりました。

御祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) と 大己貴命(おおなむちのみこと) です。

宝永6年(1709年)に改築された本殿は、立派な彫刻がほどこされ、文化財としても大切にされていました。ところが昭和60年(1985年)7月16日の早朝、火災で焼けてしまったそうです。

里の人々が一心に復興に励み、翌昭和61年(1986年)12月23日に、総檜造りの本殿が復元されました。

貫井神社の拝殿
貫井神社の拝殿
貫井神社の本殿
昭和61年に復元された本殿
貫井神社の手水舎
貫井神社の手水舎

はけの湧水と、朱色の橋

貫井神社は、武蔵野台地の端にある「はけ」(国分寺崖線)のふもとにあります。崖の下の岩の間からは、今も水が湧き出しています。

貫井神社の湧水
崖の下の岩の間から水が湧き出しています

貫井神社の湧水は「東京の名湧水57選」にも選ばれています。ただ、横の札には「平成2年2月8日 水質調査の結果 飲料水として適しません」とありました。見て楽しむ湧き水です。

貫井神社の池と朱色の橋
湧水を集めた池と朱色の橋

湧き水を集めた池には朱色の橋が架かり、5月の新緑と赤い紅葉が水面に映っていました。子どものころは何も考えずに走り回っていた場所ですが、こんなにきれいな場所だったのかと、あらためて感じます。

貫井神社の境内社
境内の奥にある社殿

校庭の下に眠る縄文の遺跡

貫井神社のまわりには、貫井遺跡 という縄文時代の遺跡があります。

私が通っていた小金井第四小学校の校庭の下にも、この遺跡が埋まっていました。在学中にも、定期的に学術調査が行われていたのを覚えています。

実際に、昭和53年(1978年)には、第四小学校の木造校舎の増改築工事に合わせて発掘調査が行われ、その報告書も残されています。

これだけ湧き水が豊富な土地です。きっと縄文の昔から、人々はこの水のまわりで暮らしてきたのでしょう。

戦国時代の終わりに水の神さまがお祀りされたのも、自然なことだったのだと思います。子どものころの遊び場は、実はとても長い歴史の上にあったわけです。

いただいた御朱印

御朱印は、それぞれの神社でいただきました。

小金井神社

小金井神社の御朱印(令和8年5月5日)
小金井神社の御朱印(令和8年5月5日)

中央に「小金井神社」、右に「天満宮」と「武蔵小金井鎮座」。天満宮の大きな朱印に、梅の花と、寝そべった牛の印が押されています。天満宮らしい、かわいらしさのある御朱印です。

貫井神社

貫井神社の御朱印(令和8年5月5日)
貫井神社の御朱印(令和8年5月5日)

こちらは貫井神社の御朱印です。中央の「貫井神社」の下には、朱色の橋と社殿の絵が淡い茶色で刷られています。

子どものころの遊び場が、御朱印になって手元に来たのは、なんだか不思議な気持ちでした。

参拝してみて感じたこと

住んでいたころには一度も行かなかった小金井神社と、毎日のように遊んでいた貫井神社。

同じ町の2つの神社を、大人になってからあらためてお参りしました。

神社仏閣に興味を持ってから訪ねると、子どものころには見えていなかったものがたくさん見えてきます。

湧き水、縄文の遺跡、800年以上前の天満宮の創立。ふるさとの町は、思っていたよりずっと歴史の深い場所でした。

参拝情報

小金井神社

  • 所在地:東京都小金井市中町4-7-2
  • 主祭神:菅原道真公
  • アクセス:JR中央線「武蔵小金井駅」から徒歩約10分
  • 公式サイト:小金井神社

 

貫井神社

  • 所在地:東京都小金井市貫井南町3-8-6
  • 御祭神:市杵島姫命、大己貴命
  • アクセス:JR中央線「武蔵小金井駅」から徒歩約20分
  • 公式サイト:貫井神社
  • 参拝日:令和8年(2026年)5月5日(火・こどもの日)
  • 御朱印:小金井神社、貫井神社

※初穂料は控えていませんでした。

※由緒は境内の案内板と「御本殿造営記念」碑を参考にしました。貫井遺跡については、奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」の報告書情報を参考にしています。

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