Blog

同じ名前の神社が3つ?「論社」を知って延喜式内社めぐりがもっと面白くなった話

2026/10/10

延喜式内社 神社

「あれ、この神社、前にも来なかったっけ?」

神社めぐりを続けていると、ときどき不思議なことに気づきます。
同じ名前の神社が、少し離れた場所にいくつもあるのです。

私が最初にそれを強く意識したのは、地元・相模原市の石楯尾神社(いわたておじんじゃ)でした。
2016年12月に緑区佐野川の石楯尾神社、2017年8月に南区磯部の石楯尾神社、同じ年の11月に緑区名倉の石楯尾神社を参拝しました。
どれも「相模国延喜式内十三社」として紹介されている神社です。

同じ市内に、同じ名前で、どれも「延喜式に載っている古い神社」。
その答えになるのが、今回のテーマの「論社(ろんしゃ)」という言葉です。

そもそも「延喜式内社」とは

初めての方のために、簡単に説明しておきます。

平安時代の延長5年(927年)にまとめられた「延喜式(えんぎしき)」という法令集があります。
その中の「神名帳(じんみょうちょう)」という部分に、当時の朝廷が認めていた全国の神社が一覧になっています。
ここに名前が載っている神社を「延喜式内社」、略して「式内社」と呼びます。

全国で2,800社あまり。今からおよそ1,100年前の時点で「国が把握していた神社」ということになります。
相模国(今の神奈川県のおおよそ西半分)では13社が載っていて、これが「相模国延喜式内十三社」です。

ブログの記事タイトルに【武蔵国延喜式内社】【伊豆国延喜式内社】などと付けているのは、この一覧に載っている神社という意味です。

「論社」とは──どれが本当の式内社か、決めきれない神社

ここからが本題です。

神名帳には「どの国の、どの郡に、何という神社があるか」は書かれています。
ところが、今の住所のような細かい場所までは書かれていません。

1,100年のあいだに、神社は移転したり、名前が変わったり、ほかの神社に合わせて祀られたり(合祀)、一度途絶えたりしてきました。
そのため、「神名帳に載っているこの神社は、今のどの神社のことか」がはっきりしないケースが少なくありません。

そこで、候補が複数ある場合、その候補になっている神社をそれぞれ「論社」と呼びます。
「どちらが本当の式内社か、論じられている神社」というくらいの意味です。

相模原の石楯尾神社は3社とも「論社」

相模原市内の石楯尾神社は、まさにこのケースです。
名倉、佐野川、磯部の3社がそれぞれ、神名帳にある「石楯尾神社」の論社とされています。

実際に参拝してみると、3社の雰囲気はかなり違いました。

  • 名倉(緑区):石段の参道に神門、彫刻の美しい社殿。社殿はガラスかアクリルで囲われて守られていました。二本杉と社叢は神奈川県の天然記念物です。
  • 佐野川(緑区):山あいの神社で、神楽殿や夫婦杉があります。本殿の棟札には天保7年(1836年)の記載があるそうです。
  • 磯部(南区):住宅街の中に入口があり、参道に古い石碑やお地蔵様、稲荷社があります。近くに勝坂遺跡があり、昔から人が暮らしていた土地だと感じました。
名倉の石楯尾神社 社殿
緑区名倉の石楯尾神社 社殿(2017年11月19日参拝)
佐野川の石楯尾神社 社殿
緑区佐野川の石楯尾神社 社殿(2016年12月4日参拝)
磯部の石楯尾神社 社殿
南区磯部の石楯尾神社 社殿(2017年8月27日参拝)

同じ「石楯尾神社」でも、祀られている神様の説明も少しずつ違います。名倉は石楯尾大神(名倉権現)、佐野川は神日本磐余彦尊(神武天皇)ほか、磯部は大己貴命と紹介されていました。
長い年月の中で、それぞれの土地の人たちが、それぞれの形で守ってきたのだろうと思います【要確認】。

宮司さんから聞いた話

名倉の石楯尾神社には何度か伺っていましたが、なかなか宮司さんにお会いできず、2017年11月にようやく御朱印をいただけました。
そのとき宮司さんから、境内の末社の多くはあちこちから移されてきたものだということ、武田信玄の軍勢によって焼かれた神社があり、石楯尾神社の社殿も焼失したことがあるというお話を伺いました。

こういう話を聞くと、「どれが本当の式内社か」がはっきりしないのも当然だと感じます。
戦で焼かれたり、移されたりしているのですから、記録がそのまま残っている方が珍しいのかもしれません。

秩父の椋神社は「5社」

もう一つ印象に残っているのが、秩父の椋神社(むくじんじゃ)です。

2022年8月12日に、秩父市と皆野町にある椋神社を5社まとめて参拝しました。
下吉田、皆野、野巻、中蒔田、上蒔田の5社で、いずれも武蔵国の延喜式内社として紹介されています。

皆野椋神社の鳥居と参道
皆野町の皆野椋神社(2022年8月12日参拝)

1日で5社を回るのは、なかなか良い経験でした。
同じ名前の神社を続けて参拝すると、建物の大きさや境内の広さ、地域の中での立ち位置の違いがよく分かります【要確認】。
御朱印をいただける神社と、いただけない(無人の)神社があるのも、実際に回ってみて分かったことです【要確認】。

名前が違っても「論社」のことがある

論社は、同じ名前の神社ばかりとは限りません。

2018年に参拝した埼玉県熊谷市の大我井神社(おおがいじんじゃ)は、神名帳にある「白髪神社」の論社とされています。
神仏習合の時代には妻沼聖天山の聖天宮に合わせて祀られていて、明治の神仏分離のあとに今の場所に移り、大我井神社となったそうです。

大我井神社の唐門
熊谷市の大我井神社 唐門

つまり、名前も場所も変わっているのに、「もとをたどると式内社かもしれない」という神社もあるわけです。
こうなると、名前だけで探してもたどり着けません。案内板や御由緒書きを読んで、初めて知ることになります。

論社をめぐって考えたこと

60代になって思うのは、「正解が一つに決まらないこと」を、そのまま楽しめるようになったということです。

仕事のWeb制作では、エラーの原因は一つに絞り込まないと先に進めません。
でも神社の世界では、「どれが本物か」を決めることにあまり意味がないように感じます。
どの論社にも、その土地で何百年もお祀りしてきた人たちがいて、今も地域の人が手入れをしています。
手水舎の水が止まっていたり、社殿がアクリルで守られていたり、それぞれの神社の今の姿にも、守ってきた人たちの苦労が見えます。

だから私は、論社は「どれか一つ」ではなく「なるべく全部お参りする」ことにしています。
そのほうが、1,100年前の一覧の向こうにある、土地ごとの歴史が見えてくるからです。

これから式内社めぐりを始める方へ

最後に、これから延喜式内社をめぐってみたい方向けに、私の経験からのポイントをまとめます。

  1. まずは地元の国から:神奈川なら相模国十三社、東京・埼玉なら武蔵国の式内社。近場だと何度も通えます。
  2. 論社は全部回るつもりで:同じ名前の神社が複数あったら、それが論社のサインです。
  3. 御由緒書き・案内板を読む:移転や合祀の歴史は、たいていそこに書いてあります。
  4. 宮司さんがいたら話を聞く:ネットには載っていない話が聞けることがあります。
  5. 御朱印は「お参りしてから」:無人の神社も多いので、いただけなくても気にしないこと。御朱印は参拝の証です。

まとめ

  • 延喜式内社とは、927年にまとめられた延喜式の「神名帳」に載っている神社のこと
  • 神名帳に載っている神社が今のどれか決まらないとき、候補の神社をそれぞれ「論社」と呼ぶ
  • 相模原市の石楯尾神社は3社、秩父の椋神社は5社が、それぞれ式内社として紹介されている
  • 名前が変わっていても論社になっている神社(大我井神社など)もある
  • 「どれが本物か」より、それぞれの土地で守られてきた歴史を感じながら回るのがおすすめ

同じ名前の神社に出会ったら、ぜひ「もしかして論社かな?」と思い出してみてください。
神社めぐりが、少しだけ面白くなるはずです。

---

ゼヒトモ内でのプロフィール: ROCKSTREAM, ゼヒトモのホームページ作成・制作サービス, 仕事をお願いしたい依頼者と様々な「プロ」をつなぐサービス

カテゴリー

月間アーカイブ

MORE

ミュージシャンズ・プラザ

神社仏閣ホームーページ制作

ホームページ制作問合せ